この時期になると無性に腹立たしくなるのが、未だにメディアにおいて父親の存在が軽んじられていること。昨日観たローカル情報バラエティ番組ではメッセージテーマに父の日と据えながら、"どうしても母の日より軽んじられるよね"と、さも当たり前の如く前置きされていたり。
そして、某人気ラジオ番組でスポンサーを務める会社の名称変更に伴うCMも酷かったものです。一度しか聴けなかったことや、その番組がradikoタイムフリーに未対応ゆえ(この未対応を番組側が決められるというシステムもどうなのかと思います。無論、リアルタイムで聴いて欲しいという思いは解らなくはないのですが)、詳細は覚えていないのですが商品なりサービスが母親曰く"父より使える"だそうで…なんだか虚しくなりました。しかも名称変更という大事な伝達の際に父親軽視を伴わせるとは、と。
父親に限らず、たとえば若い人を"使えない"などとして、商品やサービスのほうが優れていると謳うCMは散見されます。弊ブログでは何度かこのことに触れていますが、こういうCMがなくならない限り、意見表明し続けようと思った次第。
過去のブログエントリーでも触れた"逆謙譲"以外にも、CMは悪しきスタンスを示しているのではと最近感じています。たとえば亭主関白で家事には口出ししかしなかったり、家ではお荷物扱いだったりという父親像は過去のものとなり、近年の共働き家庭の増加等生活環境の変化により、家事育児に参加したり子どもと仲の良い父親は増えてきているはず。さらには昨日のエントリーでLGBT(LGBTQ)プライド月間について触れましたが、今後は家族の形自体が様々になることでしょう。それら、価値観が多様になる社会にあって、旧態依然なイメージを(それがマジョリティなものだとしても)未だ用いることは、まるで"私たちは昔のままです"とか"進歩しません"とアピールしているようなものでは?…というのは流石に言い過ぎでしょうか。
少なくとも逆謙譲を用いたCM等で紹介された商品やサービス、会社に対しては距離を置きたいと思う自分の考えはマイノリティかもしれませんし、父親がかわいそうだ!と怒鳴り炎上を狙うつもりも一切ありません。ただ、父親の軽視は以前ほど共感されず、逆に反感を招きかねない気がしていて、CMを打った側が損しているのではないかと思うのです。