遅ればせながら、しかし忘れぬうちにメモ。
先週火曜(1月17日)に放送されたTBSラジオ『荻上チキ Session-22』(月-金曜 22時)。この日のメインテーマは【薬物問題の改善のために ~ みんなで作ろう“薬物報道ガイドライン”】と題し、国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦さん、ダルク女性ハウス代表の上岡陽江さん、ギャンブル依存症問題を考える会代表の田中紀子さんをゲストに迎え、リスナーの意見も交えながら、荻上チキさんが叩き台を作成した”薬物報道ガイドライン”が推敲されていきました。
当日の放送は番組HPにて書き起こされています。
上記では当日の音声も配信。通常は最新回以外の放送はTBSラジオクラウドに加入しないと聴取出来ないのですが、この回はどうやら聴くことが出来るように設定。その心意気にも感謝申し上げます。なお、無料にて新規登録が可能なTBSクラウドに加入すれば下記からも聴くことが出来ます。
この、薬物報道ガイドラインを作成する理由は下記に。上記リンク先より引用させていただきます。
昨年、芸能人やスポーツ選手などの薬物問題についての報道が相次ぎました。しかし、なかには依存症へ偏見や誤解を助長したり、違法薬物への興味を煽ってしまったりと、薬物問題の改善とは逆ベクトルになってしまっているものも少なくありません。しかし、薬物報道に関しては現在、WHOの「自殺報道ガイドライン」のようなものがありません。そこで今回「Session-22」では、パーソナリティ・荻上チキの案を叩き台に、薬物や依存症問題の専門家、当事者、そしてリスナーの皆さんと一緒に「薬物報道ガイドライン」の案を作ってみることにしました。このガイドライン案が、今後の薬物報道のあり方を考えるきっかけになることを期待したいと思います。
叩き台は修正を経て、バージョン1.1として上記リンク先で公開されていますので是非御覧ください。
さて、今後このガイドラインが活きるようになるためには、メディアとの密な関係が必要になるでしょう。親密とまで行かなくとも、近い距離感でという意味で。それゆえ、今回のエントリーは正直書こうか迷いましたが(書くと番組側等の気概を削ぎかねない、空気を読めないと言われかねない点において)、今の報道番組のスタイルではガイドライン作成したとしても厳しいのでは?という思いが非常に強いため、敢えて記載させていただきます。
正直、現行の報道番組のワイドショー化は目に余るものがあります。悪いことをした方は裁かれる必要がありますが、裁くのは法律等や(その法律等を用いてジャッジする)限られた人間であり、メディアおよびそれを見聞きする市井が、それも感情的に自分の溜まった鬱憤を発散するかの如く報じる(この場合の"報じる"は、事実に"色をつける"が相応しい)のは、全くもって正しいと思えません。
・推定無罪ではない、推定有罪の原則に基づく・取り上げるジャンルに長けていない者がコメントする、正義を代表するかの如く正論を振りかざす・キャスターが堂々と私見を述べる・制作者の声を代弁させ少数派の声を伝えない"街の声"を流す・おどろおどろしいBGM、写真のズームアップ、以前から兆候があったかのような人となりの追跡、キャスター以外の人間を用いた感情的な原稿読み、バラエティ的テロップの多用…等の過剰な演出を施す
今のワイドショー型報道の何が問題かといえば、自分が提示した問題点を多数行うことで、受け手の客観性や冷静さが薄れること。それが市井の暴徒化を生みかねない…というのは極端な考えかもしれませんが、ネット等で散見される言葉の刃の多さや、犯罪を起こした者を永遠に悔やませんとするやり方には、多少なりとも今のワイドショー型報道が市井に刷り込ませた推定有罪等の要素が芽生えてしまっている気がするのです(ゆえに、"日本にとって"という表現を先に用いた次第)。最近もそのような例があり、芸能活動を自粛することになった狩野英孝さんに対する和田アキ子さんやテリー伊藤さんの姿勢はまさしく推定有罪だったり永遠の悔いを求めるような恫喝だったりするのではないかと。冠番組で生電話しようとした和田さんの行動はパワーハラスメントとしてBPOで審議されてもよいレベルだとも思っています。たしかに狩野さんは正しくないことをしたかもしれませんが、当事者間で解決しており法的にもそこまで問題がないものを過度に捉える芸能界という世界自体にも疑問を抱きますし(イメージ商売だから仕方ないという側面は解りますが)、その不条理を、自分の感情と尺度でしか測れない和田さんやテリーさんこそ問題ではないかと思うのです。芸能界ではその世界独自のしきたりゆえ絶対的な地位を得ているのかもしれませんが、文句しか言わない人、元来の職業(和田さんでいえば歌手)で近年結果を残せていない人が売れっ子で結果をきちんと残している狩野さんを言うだなんてなんだかみっともないとすら。コメンテーターとは本当に無責任だと思うのですが、そういう人を"鑑"と見てしまう人が少なくない以上、推定有罪等や永遠の後悔がアリという空気を醸成してはいないだろうか…そう考えると、本当に自粛すべきは誰なのかと。そう思うのは考え過ぎでしょうか。
話を先週火曜の『Session-22』の提言に戻しますが、無論この提言は素晴らしいと思いますし、それを機に報道番組の論調が変わることを強く希望します。自分が今のメディアの報じ方を厳しすぎるくらい強く懸念しているだけと言われればそれまでですが、こういう考えもあるということを知っていただけたならと思い書き記した次第です。
それともう一つ。先日不起訴となった歌手の方の逮捕時に器物損壊等をメディアが行っていましたが、そういった物理的なことに加え、精神的な被害を負わせた場合の”罰則ガイドライン”の作成の必要もあるのではないでしょうか。その点についても『Session-22』で議論していただきたいものです。というのも、
我々メディアが厳しいご意見をいただくのは当然ですが、褒められるとやる気が出るのは確かです(笑)。 RT @5en_nosuke: メディアは褒められ弱い? #ss954
— 荻上チキ・Session-22 (@Session_22) 2017年1月17日
いわば"飴と鞭"が必要だということをツイートを読んで実感したため。メディアへの強い罰則規定というものも、ピューリッツァー賞のような権威ある賞も日本では存在しないのではないかと思うのです。いわば前者が鞭で後者が飴。現在の報道の良し悪しの尺度はただ一つ、視聴率や部数という"数字"だけではないかと思い、その数字を追い求めすぎるがために暴走の一途を辿っている気がしてならないのです。このままでは容疑者宅での待ち構えで器物損壊じゃ済まされない(器物損壊自体もアウトですが)事態が起きてもおかしくなく、ならばあまりに悪質なメディアには極端な話一日停波や一号分発売禁止等の措置をとることも視野に入れてみてはどうでしょう、その代わり、優れた作品にはきちんと賞を与え、その素晴らしさを広く認知させる…なんだかんだ言っても制作するのは人ですから飴と鞭は有効に機能するはずです。
長文にて失礼しました。厳しすぎるきらいはありますが、これが何かしら活きたならば幸いです。