イマオト - 今の音楽を追うブログ -

旧ブログ名:face it。音楽チャートアナライザーとして、ビルボードジャパンや米ビルボードのソングチャートなどを紹介します。

悪いことをした人の創作物まで全て悪なのか?

過去の創作物の創作者が現在になって過ちを犯したことで、過去の創作物まで咎められる...というのが腑に落ちない自分がいます。

それ以外に影響が懸念されるのが、日本テレビが1991年から不定期に放送しているバラエティ番組「はじめてのおつかい」。この番組で長年にわたって流れている楽曲のひとつを、高樹容疑者が作詞していた。

この楽曲は、1991年発売のB.B.クィーンズのシングル曲「ドレミファだいじょーぶ」にカップリング曲として収録された「しょげないでよBaby」。「ドレミファだいじょーぶ」が同番組の主題歌で、「しょげないでよBaby」が挿入歌という位置付けだ。「しょげないでよBaby」は織田哲郎さんが作曲し、高樹容疑者が作詞していた。シリーズで最後に放送されたのは16年7月の「夏の大冒険スペシャル」。次回シリーズでの対応が注目される。

高樹沙耶逮捕でテレビ激震 「相棒」再放送に「はじめてのおつかい」挿入歌 : J-CASTニュース(10月26日付)より

容疑者の逮捕で、「しょげないでよBaby」の作詞も彼女だから使えないよね...と思った方が結構いらっしゃるということでしょうか。

たしかに出演ドラマでは顔出しされていたので自粛するのはある程度理解出来るかもしれませんが、彼女が紡いだ曲、それも『はじめてのおつかい』に用いられ多くの視聴者が純粋に感動した曲を、”悪いことをした人の作品で感動させるな!”として使用出来ない(というか許せない)とするかのような風潮には首を傾げざるを得ません。悪いことした人の創作物は全て悪なのか? 悪いことをする以前の創作物まで咎められるのか? そもそも今の日本ではどんな事件でも捕まった瞬間に”推定有罪”という原則論がまかり通り過ぎてやいないか? というのもありますが、そもそも曲が愛されているということは純粋に曲の良さ(や使用された番組の良さ)に多くの人がこれまで感動してきたゆえであり、それを”悪いことした人の作品だから感動してはいけない”とでもいうべき空気を醸成することは、実は感動した人自身の感情に自ら蓋を強いてさせてしまうという意味で実にもったいないなと。感動した人の過去の素直な気持ちを捨ててまで”悪は全て外せ”と強いるのは結局、感動した人が孕む矛盾(以前その曲で感動したくせに?)を突かれたくないからなのかなあ、そうやって関連するもの全て排除すれば指摘されなくなるからなのかなあと思ってしまうのは、自分が意地悪いからでしょうか。

 

 

事件については正直いってその詳細を知りませんし、後から入ってくる情報はそのほとんどが”推定有罪”に基づくものであるため個人的には距離を置いています。ストレートニュースじゃない形の報道番組(演出過剰で劇場型、私見がまかり通る形のワイドショータイプ)が多すぎて辟易しますね。