今週の音楽ニュース、小西康陽が徳間の50年をギュッと濃縮、バニビや吉幾三の新リミックスも - 音楽ナタリーを目にしてふと思い出したのが、小西さんのユニット、PIZZICATO ONEがカバーした「Imagine」。ボーカルに起用されたのは、ジャズ/ソウルシンガー、マリーナ・ショウ。これがとんでもないカバーでした。
・PIZZICATO ONE feat. マリーナ・ショウ「Imagine」(2011 PIZZICATO ONE『11のとても悲しい歌』収録 → iTunes Store)
ストリングスによる冒頭、マリーナ・ショウの声の乾き…これまで聴いてきた同曲のカバーの中でも異質なアプローチであり、オリジナル版のジョン・レノンとは対極をなすと言っても過言ではない仕上がりに。ストリングスや特徴的な声はあたかも不穏さや混沌さを示すかのようで、初めて聴いたとき強い衝撃を受けたものです。このカバーが収録されたアルバムのタイトルが『~とても悲しい歌』ということに激しい違和感を覚えつつ、曲から漂う雰囲気になぜかすんなりと飲み込めたことを思い出しました。
このカバーを、”乾いたペシミズム”と表現した方がいらっしゃり、非常に納得出来ました。読み応えもあり、勝手ながらリンクを貼らせていただきます。ちなみにペシミズムの意味は下記の通りです。
・『IMAGINE feat. MARLENA SHAW / PIZZICATO ONE』:03'54'':So-net blog
ペシミズム 【pessimism】
①物事を悲観的に考える傾向。悲観主義。厭世(えんせい)主義。厭世観。 ↔ オプチミズム
②〘哲〙 世界(人生・歴史)は不合理・無意味であり,それを変えることはできないとみなす態度。
小西さんは、『11のとても悲しい歌』の制作のきっかけが「Imagine」だったと述べています。同曲を取り上げた理由は、小西さんにとってペシミズム以上の概念があったのではないかと思うのです。
--小西さんの中で「イマジン」の印象や評価はどういうものだったのでしょうか。
小西:最初に「イマジン」を聞いたのは10代の前半だったんだけど、大人になるにつれてなぜこんなにきれいごとなんだろう? って思いましたよね。その後ずっと聞かなかったんだけど、自分でも曲を作って音楽をやるようになって、なぜあのジョン・レノンが「イマジン」を作ったのかと考えるようになった。それで、きっと「イマジン」という曲はジョンがあえて作ったのではなくて、降りてきたんじゃないかって思うようになってきた。否定するにはあまりに強く出てきてしまったんじゃないか、と。その後の人生の中でジョン・レノンはこの曲を作ったことを後悔して、逡巡したこともあったんじゃないかな。
--ジョンのキャリアの中で「イマジン」だけ異色ですからね。
小西:不思議な曲ですよね。だから今回のカバーでは「イマジン」に対する強烈な違和感をそのままを出そうと思った。
希望の象徴として描かれ、そして広く知られるようになった「Imagine」。しかし、大人になり現実と理想の乖離を痛感し、現実の汚さや酷さを知りながら、抵抗したい思いとは裏腹にそれに合わせるように生きていかないといけないという不条理を経験する中で、単に希望を謳う歌は現実味のない理想論にすぎず、綺麗事だと捉える人は少なくないでしょう。その思いを音に落とし込んだ小西さんとマリーナ・ショウによる「Imagine」は、多くの人の心に強く刺さり、腑に落ちるものと思います。
小西さんはこの曲のカバーを911事件の後に思いついた、とインタビューの中で述べています。『11のとても悲しい歌』のリリースは4年前の5月、東日本大震災の発生から2ヶ月半後のことでした。アメリカの事件も東日本大震災でも、その直後から希望を歌った歌がラジオなどから溢れていた状況は同じでしょう。そんな中で放たれたからこそ余計に、”現実味”が強く感じられたのかもしれません。
ではこの曲を、PIZZICATO ONEによるカバーに限らずオリジナルも含め、綺麗事だからとして避けていいかというと、それは乱暴な気がします。自分の中では、今年のグラミー賞を総括した際、理想論は大事だと締めくくったエントリーを書いて以降、理想論を掲げることの重要性を再認識しています。自分が数年前まで歌っていたゴスペルへの考え方に近いものであり、その考えを思い出させてくれたのはグラミー賞での数々の歌唱やスピーチでした。
先述した綺麗事という考えは誰の中にも存在しているのかもしれません。無論自分もそうです。世の中は不合理や不条理なことが多く、嘆き悲しみ受け入れないといけません。ただその考えだけでは、人は心から笑えないと思うんですよね。不条理な現実の中にあって、それでも前を向こうとする希望をほんの少しでも掲げるからこそ生きることに楽しみが見いだせ、笑えるはず。「Imagine」に代表される希望を謳う歌を、”綺麗事”と捉えるか”理想論”として掲げるかで、その人の生き方が大きく変わる…というのは大袈裟かもしれませんが、少なくとも心からの笑顔が出来るかどうかは、その考え方次第のような気がします。
厳密に言えば、「Imagine」で歌われているのは国も宗教もない世界なわけで、理想論の最たるものかもしれません。この曲の歌詞をそのまま現実のものにすることは、たしかに乱暴なことでしょう(歌詞や対訳はイマジン歌詞(和訳)- Imagine / John lennon 今こそ「イマジン」をじっくり聞いてみよう!を参考とさせていただきました)。PIZZICATO ONEによるカバーは、原曲が持つ高すぎる理想を、アレンジや歌唱面で現実に少しでも近いところに引き戻したという点において大きく貢献しているように思います。個人的にはオリジナル超えを果たしているカバーだと捉えていて、今後も聴き続けるだろう大事な曲になっています。