イマオト - 今の音楽を追うブログ -

旧ブログ名:face it。音楽チャートアナライザーとして、ビルボードジャパンや米ビルボードのソングチャートなどを紹介します。

スポーツ中継の”世界◯◯”という名称は止めたほうがよいのではないか

今年の女子バレーボールの世界選手権をTBSテレビが独占中継したことで、局の気合いの高さが同じグループであるTBSラジオからも伝わってきました(同局の『アフター6ジャンクション』(月-金曜 18時)を聴いているので尚の事です)。が、今回”世界バレー”と称して放送したその内容を踏まえるに正直強い違和感を覚え、決勝戦から1週間経ち、書き記さないとと思った次第です。その違和感、実は以前もブログに記載していたのですがあらためて。

結局今回の”世界バレー”でも、日本だけは全試合夜の時間に試合開始、さらには先週金曜、日本が登場した5位決定戦が、準決勝の後に行われるという事態。準決勝まで勝ち上がった4ヶ国への配慮や敬意がないという指摘をTwitterなどでいくつか見ましたが、その通りだと思います。

いやいや、スポンサーによる潤沢な資金があるゆえ日本で大会が多いのは当然、ならば日本が有利な環境にあるのは当たり前だ…という声がありますが(しかもその”ベストアンサー”は上から目線で読んでいてどうかと思ったのですがそれは置いといて)、たとえば競技団体と”世界バレー”を共催するTBS(それゆえ高視聴率狙いで日本戦を夜に固定したのでしょう)が巨額の赤字を背負うだろう報道があったり、また男子バレーボールがイタリアとブルガリアで開催され、女子と同様に日本で行われなかったことを踏まえるに、資金面でもスポンサーの女子と男子の待遇の差においても、先の”ベストアンサー”はなんだか的はずれな気がします。

配慮や敬意という話に戻すと、今回の”世界バレー”、決勝戦BS-TBSで中継され地上波での放送はありませんでした。しかし日本が仮に決勝に進出した際は決勝戦を地上波で流すと、”世界バレー”の放送スケジュールに明記されています。これだけでも決勝進出2ヶ国に無礼だと思うのですが、先の5位決定戦のスケジュールと決勝の放送スケジュールから察するに、仮に日本が3位決定戦に進出した際は決勝の後に3位決定戦をやったのでないかと邪推することも可能ではないかと。あり得ないと思いたいのですが、今回に至るまでの”女子バレー”の優遇の歴史を踏まえれば恐ろしいと感じています。

 

優遇を問題と思う理由は何か。海外で試合に臨む際に日本開催の大会スケジュールとは大きく異なる、それこそ”世界バレー”で日本以外の国々が強いられるのと同種の過酷なスケジュールに日本代表が耐えられない可能性があるというのがまず一点。明らかな優遇により肉体面もさることながら精神面、ハングリーさが鍛えられない点が二つ目。そして日本優遇が世界大会で当たり前になることで、再来年の東京オリンピックでも同様の措置が採られるのではないかという不信感が芽生えることも大きな理由です。この動きはバレーボールのみならず、たとえば野球等でもみられているのです。なお野球等については先に添付したブログエントリーに記載しています。今回はその内容をほぼ踏襲した部分はありますが、その頃と変わっていないと感じたため記載しました。

今大会での日本の成績は日本開催という過度な優遇あってこそであり、これが海外であれば少なからず順位を落とすと考えるのは自然なことではないでしょうか。無論、選手はホーム/アウェイに関係なく全力を出し切っているはずですが、周囲が勝たせんと過度に優遇することで、海外での大会は今回より数字が悪化するのではないかとみています。そして常に日本戦を夜に開催することが視聴率稼ぎのための手段ならば、今回共催したTBSテレビは女子バレーボールを長期的な視野で応援しているのではなく、短期的、厳しい言い方ですが短絡的な自己の利益確保のためのみに用いているものと受け取ることが出来るかもしれず、これでは女子バレーボールが都合のいいコマではないかと考えてすらしまうのです。

 

この”世界バレー”をはじめとする”世界◯◯(スポーツ名)”という名称、民放各局が用いている一方、NHKはあくまで◯◯世界選手権という名称を使用しています。この”世界◯◯(スポーツ名)”、他競技ではバレーボールほどの贔屓はないとしても、海外での試合の際も出来る限り日本の(視聴率的な意味での)ゴールデンタイムに合わせるかの如く、現地では結構乱暴な時間に行うことも散見されます。それは資金を投入した見返りとしての各民放局の視聴率狙いなのでしょうが、無茶な現地時間での開催や日本選手のみの公開インタビュー(先日の水泳の世界規模での大会でもみられました)といったやり方は選手に過度の精神的負担を強いるのみならず、ライバルの存在が分かりにくく視聴者がより立体的な視野を得られなくなる点において機会損失でしょう。今回の”世界バレー”で選手がもし、自分たちだけ優遇されすぎなのはアンフェアだと、フェアプレー精神との葛藤を抱くことになればそれもまた精神的な負担になりかねず、民放各局のやり方はとても健全とはいえません。こうやって持ち上げていくその果てに”金メダル◯個が期待されます”等の局本位の願望を込めた報道がなされ、その後思うような結果が出なかった際に”なぜなのでしょう…”と言われても、それはメディアの自己都合というか勝手、なのです。

その点において、”世界◯◯(スポーツ名)”という名称は止めてもいいのでは…と、かなり乱暴ですがそんなことを考えています。名称を”◯◯世界選手権”に変える(戻す)ことで、とっつきにくさはあるかもしれませんが確実に格式が上がり、襟を正せる気がするのです。なにより”世界◯◯(スポーツ名)”が選手のためになっているか、考えていただきたいものです。