どうしても言及しないとと思い、この問題についての私見を。
キム・バレルの実力の凄まじさやどれだけ愛されていたかについては、エッセンスミュージックフェスティバルでの彼女のステージを観れば解りやすいかと。昨年その旨については、音楽評論家の林剛氏のツイートを引用する形で紹介させていただきました。
だからこそ今回の発言は本当に残念…なのですが、問題を別の視点から見ると、まずなによりこの問題が”何故アップロードされたのか”という疑問に行き着きます。無論、彼女の教会に行き彼女の説教を聞いた者は多くいらっしゃるわけで(ゆえに彼女の考え方がなぜ問題視されてこなかったかは疑問)、行って疑問を感じた者が”これは問題だ”との意思に基づきアップしたのだとは思うのですが…ただ動画の注釈における『2017年に死ぬべきだと仄めかした』のが果たして事実なのか、とりわけ強い疑問を抱きます。ならばキムが指摘するように説教の全てを公開すること、そして実際に注釈のような発言があったのかを私たちが確認出来る状態にすることこそフェアではないでしょうか。その点において、動画アップロード者や、同性愛非難を許せないとする者には冷静さが欠けているように思います(いや、実際自分も最初は怒ってしまったので同罪なのですが)。邪推ですが、アップロード者の真の目的は同性愛非難を許さないとかではなく、単に彼女を陥れたいだけでは?とすら思うのです。
そしてもう一点。キリスト教にも様々な教派が存在し、その中には(同じ聖書を元にしながらも)同性愛は罪とするところが存在します。もしかしたらキムはその教派、いわゆる保守と呼ばれる側の人間なのかもしれません。
キリスト教と同性愛の関係については下記コラムが非常に解りやすいと思います。
また、日本でも保守的な教会が未だに”同性愛は罪”という説教を行うそうです。
そういう教会には唖然としますが、逆に昔からそういう考えを教えられ続け、違和感を抱かないまま成長すると”同性愛は罪”という論調になってしまうのではないかと思うのです。その背景があるならば、彼女が考えを変化すること、そう促すことこそ最も重要ではないでしょうか。
キムにとって残念だと思ったのは、彼女が同性愛者を公言するフランク・オーシャンの昨年作『blonde』に参加したことにより同性愛について何かしら肯定的に捉えることの出来る機会があっただろうに…と。フランクの母親がキムを非難している(上記bmrより)のは、親としての自然な感情だと思います。
ただ、この問題を受けた者の中に、キムを擁護しないのは当然としても、たとえば”キリスト教の教派によって解釈が異なる”という背景を伝え、”保守過ぎる考えは時代錯誤では?”と呼びかけ、そしてキムに”柔軟な考えを持って欲しい”と促す人が果たしてどれだけいるのでしょう。”炎上”という見出しからすればキムを追い詰める側には、先に自分が邪推した動画アップロード者の目的同様に、問題を真に問題化せず茶化すだけの愉快犯的な人間が大半を占めているのではないかと思うのです。なにより、キリスト教の考えは『赦し』にあるとゴスペル歌唱を通じて学んだ自分からすれば、こういう炎上が大きな機会損失となり、保守過ぎる人の改心に至らせられないのではないか、キム自身変わりたくとも変われないのではないかと考えてしまいます。それは非常に勿体無いことなのです。
問題発言した方の反省は必要ですが、永遠の後悔を求めてはいけません。それは問い詰める側の”罪”だと思います。今回発生してしまった問題を真面目に捉えることで、極端な考えが軟化し、同性愛者がより生きやすい社会につながっていくようになれば幸い…という思いを込めてここに記載します。