少し前の番組、そして少し前の記事ですが引っ掛かったのでメモ。
この番組については、放送前から今のTBSの攻めの姿勢を感じていました。たとえば『芸人キャノンボール』シリーズが視聴率的には惨敗しながらも同プロデューサーによる『クイズ☆スター名鑑』(毎週日曜18時55分)がスタートしたり(そして視聴率は現状において奮わず、10月30日付の視聴率は3.8%)がスタート。『...スター名鑑』の前番組も視聴率が奮ってはいなかったと記憶しており、数字よりも中身で勝負という姿勢を実感した次第。尤も、視聴率が”低過ぎる”ことは問題かもしれませんが、最近のTBSを低勝率と揶揄するよりも”攻めている”、”雰囲気が良い”と書く記事も増えているように感じます。
で、その姿勢の中で作られた『...謝肉祭』における今回の件。『お笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)なり『内村プロデュース』(テレビ朝日系)なりでやり続けてきた”伝統”を踏襲しようという向きはきっとあったでしょうし、番宣や、MCを担当した石橋貴明さんの意気込みで、今回の中身はある程度は(というかかなり)読めたんじゃないかと思うんですよね。ゆえに『「いまどき珍しい番組だったな~と思ったけど、やっぱりBPO送りになっちゃったな…」と、審議入りを予感していたという声も少なくない』(上記記事より)という声が出るのは致し方ないことなのですが。
では、審議入りを望んだ人、番組にNOを突き付けた方に問いたいのですが、そういった方は何が望みなのでしょう?と強く思うのです。
たとえば、番組の中身を何も知らず、夕食の最中にテレビを付けた(チャンネルを変えた)ら裸の芸人が出ていて食欲が失せた、というのもあるかもしれません。でもそれは、たとえば医療ドラマにおけるリアルな手術シーンに画面を差し替えても同様のことが言えると思うのです。瞬間的に映ったものがたまたま意にそぐわなかったというのは今回の場合あまり問題にされていないのだと考えます。
となると、おそらくは”こういった低俗な番組自体やめよ”というのが望みなのかもしれません。が、たとえばチャンネルを変える権利は視聴者にあり、委ねられているはず。まずはそれを駆使してみたらどうでしょう。また、(こういう声も聞こえてきますが)もし子どもがそういう低俗なことをしかねないと疑念を抱いているのならば、”裸云々はあくまで番組の中でだけ”、”番組以外の場でそういうことをすることはいけないこと”などを自らが説得したらいいのではないでしょうか? 悪質な放送(たとえば虚偽の報道等。個人的にはニュースの9割方が演出過多の劇場型であることは問題と考えます。ストレートニュースがほとんど選べなくなっている点において)ならば問題ですが、『...謝肉祭』のような番組を過度に責めるのは、実は責める視聴者自身が家族等をうまく説得出来ないことを放送のせいにする、放送のせいにしか出来ないという、視聴者の器量の狭さの問題が根本にあると思うのですが、言い過ぎでしょうか。責任の所在を他者に委ねるのは楽ですが、そういうことを繰り返してきた結果、発し手が必要以上に萎縮する社会になってしまったわけです。
これは放送に限らず、責める側の人間の身近なところにもよくある話だと思います。一瞬でも客観的に考え落ち着く隙を自らに与えてみたら如何でしょう…ということを、無論自分自身も反芻して今後臨みます。