イマオト - 今の音楽を追うブログ -

旧ブログ名:face it。音楽チャートアナライザーとして、ビルボードジャパンや米ビルボードのソングチャートなどを紹介します。

ヴィジョンファクトリーの実力と、そして決して使ってはいけない”干される”という言葉

一昨日のw-inds.エントリーを機に、ヴィジョンファクトリー(社名自体はライジングプロダクションですが)の歌手の現在の充実っぷりを示すべく、もう一本記載。

 

昨年の私的邦楽ベストでは選外(次点)になってしまったんですが、同事務所の男性ミュージシャンの曲に好いものが多いんですよね。

 

w-inds.「夢で逢えるのに ~Sometimes I Cry ~」

一昨日触れた、R&B歌手エリック・ベネイのカヴァーがこちら。全編ファルセットで歌い切る、別れを歌いながらも甘美過ぎる曲。プリンスマナーにも沿ったこの曲に挑戦すること自体が何より尋常じゃないわけで。和訳がちょっと英語残しすぎというのが個人的には引っかかるものの、聴き応え十分。

 

三浦大知「ふれあうだけで ~Always with you ~」

RABラジオ(青森放送)でもファンからのリクエストによりエアプレイされることの多いのが彼(同局の女性アナウンサーが好きなことも起因してるはず)。Folder時代のジャクソン5カヴァーや、「Everlasting Love」での声変わり前にも関わらずラブソングに説得力を持たせた歌ヂカラは和製マイケル・ジャクソン”と当時から注目されており、ソロとして復帰後はダンスも磨き上げたことからダンスナンバーが非常に格好良いと徐々に浸透(自分も過去の邦楽ベストに「Black Hole」等アップナンバーを選出)。昨年末、ニベアのCMソングとなったこの曲で広く一般に彼の声が認知されることになったのは間違いないでしょう。おそらく今年アルバムリリースがあると思うのですが、過去作でスクリレックス的EDMや、フランク・オーシャンやミゲルのようなドリーミーなR&B(無論ファルセット使いも)をアルバム冒頭に据えて驚かせてきた彼のこと、どんなスタイルで攻めてくるのか楽しみで仕方ありません。 

 

 

・Lead「想い出ブレイカー」

隣県の親友に”これはヤバい”と勧められたのがこの曲。レトロチックなアイドルソングでいかにも男性アイドルが歌いそうな楽曲を、ここまで踊りながらブレなく歌えるのは、所属していた安室奈美恵(本日付で専属契約を終了、エイベックス内のディメンション・ポイントに移籍すると発表)など先輩たちのプロ意識の高さに感化されたことが影響しているのかも。踊りがしっかりしているだけではなく、きちんと歌える人が歌うとアイドルソングは実に格好良くなるということを示した好例ですね。

 

 

彼らはいずれもアイドル、またはアイドル出身ではありますが、ストイックに音楽活動に取り組むことで実力を身につけ、ダンスはもちろんのこと、躍りながらの歌ヂカラが増したというのは先述した安室奈美恵の存在が大きいかもしれず(事務所の目指すべき方向が定まった印象)。最早、アイドルという枠に収めてしまうのは実に勿体無いとすら思うほど。だからこそ、もっとメディアを経由して知られて欲しいと思うのですが。 

と書くと、おそらく多くの方はこういう事情が背景にあることにより彼らがメディアに出演出来にくいことを、漠然とながら認識しており思い出したでしょう。

 

でも。ヴィジョンファクトリーは先述したようにアイドルであってアイドルではない、というのが私見。先述した事情で登場する、彼らをライバル視していると思しきジャニーズ事務所のアイドルは、歌唱力が決して高いとはいえないけれど(それでも近年の歌唱力の平均が向上しているのは自明。テゴマスや堂本剛など歌唱力あるし、しっかりした歌世界を作り上げています)、たとえば俳優やタレントとして十分な実力を発揮している方も多く、ストイックに音楽を追求するスペシャリストがヴィジョンファクトリーだとすれば、ジャニーズ事務所はジェネラリストであって決してバッティングするわけじゃないと思うんですよね。自分自身、決してジャニーズを毛嫌いしているわけではなく、昨年の邦楽ベストにSMAP「Top Of The World」を選出したり、テゴマスやV6×西寺郷太の化学反応の凄さは素直に素晴らしいと思っています。

 

だからこそ、仮に先述した事情が実際に存在しているとするならば本当に悲しい。方向性が違うならば元来バッティングしないわけで、追い出す必要はなんてないわけです。ただ、仮にその問題があると前置きして書きますが、問題は事務所だけのものではないですよね。圧力に屈して、または今後の事務所との良好関係を維持することで自社出演を最優先事項に出来るという事情のために事務所に盲目的に従うメディアも問題ですし、またそういう漠然とした事情を暗に”仕方ないよね”と飲み込み、あわよくば”干された”という非情な言葉を平気で持ち出す市井だって問題でしょう。きちんと今の活動を見ず、ポテンシャルの高さを知ろうとせずに干されたとか、果ては”終わった”などと持ち出す市井の言葉の軽さにも否と唱えたいんですよね。無論これは自分も気をつけないといけないのですが。実力のある方が素直に評価されない風潮が、日本では殊更に強まっている感があります。

 

”干される”という言葉は、”干す”という言葉が在って生まれる言葉。干すことを平気で行う当事者と屈するメディア、そして”干される”と言って嘲笑う市井。この三者が良好な関係で成り立っているからこそ成立する言葉なんですよね、”干される”って。まずは自分が、自分の良心に従ってその言葉を使わないという思いを抱いて行動すれば、ちょっとでも事態が好転するものと思いたいですね。