音楽ひとつまみ。
カヴァー曲を探して、過去に作ったiTunesのプレイリストを見たところ、”変なカヴァー曲集”に入っていたこの曲に当たったわけです。
・九重佑三子「また一人」 (オリジナル:ギルバート・オサリヴァン「Alone Again (Naturally)」
”貴方に棄てられ”た主人公が、いきなり”身を投げて…”と自殺をほのめかし、他にも人間ぎらいになって遠出したり、やけになって名前も知らない男に抱かれたりしたのに、最後は結局、『つまらなくて』という理由で一人を選ぶという…奔放というかなんというか、唖然としてしまいます。
しかも冒頭には”私としたことが…”とあるので、全体的なノリはもしかしたら、”あらやっちゃった”というあっけらかんとした感覚なのかも。さすがに身投げを匂わすのは重すぎだとしても、ですが。
この曲は以前、『タモリ倶楽部』でも紹介されていますが、TBSラジオで伊集院光さんが紹介しており、その作品群をまとめたコンピレーションアルバム『伊集院光選曲 おバ歌謡』にも収録されています。
で、さすがにこの訳詞だとギルバート・オサリヴァン氏本人が怒るのでは?と思ったのですが…
この曲は内省的なバラッドであり、歌手が祭壇に取り残された後で彼の自殺の企てを語ることから始まり、その後彼の両親の死について語る
方向性は全く異なるとしても、”自殺の企て”という始まりは共通していることに驚きました。それ以上に、あれだけ流麗な、まさに朝のラジオから流れて来るにピッタリな曲のテーマが、こんなに暗いものだとは。
…と書いたところで、よくよく考えたら、自分の”勝手な先入観”から来る勘違いが問題、なんですよね。ギルバート・オサリヴァン氏は悪くないというか。流麗なメロディには美しい歌詞が付くという思い込みは間違いであり、ちゃんと歌詞を訳さないといけないなと痛感です。
というわけで、同曲を意訳されたサイトのリンクを貼っております。